西華東燭 幻宴花楼

            *翠月華』宮原 朔様へ


     



同じ地続き、同じ大地の上にその生を営む同士だとはいえ、
双方の間には、
果てしない砂漠や草原、大河に海峡まで存在するほどもの、
途轍もない距離というものが横たわる。
それがため、今までの覇者や王らは、
遥か彼方の空の下、そういう存在がおわすという話こそ、
伝え聞いての知っていたとしても、
まずは逢えまい、見ることも叶うまいとし、
所詮は接することのない対象、
よって、お伽話の中にしかいないもののように、
その実在さえ概念視していたに違いなく。

  とはいえ

幼子がどんどんと成長するにつれ、遠くまでもを見渡せるようになり、
眺めるだけに留まらず、その足で ずんと遠出も出来るようになるかの如く。
時代が進んだと同時進行で、人の知恵も見識も広がって。
野山に道が拓かれ、徒歩より馬力の出る乗り物も増え、
何かと便利になりもしたことの これも波及か、
いやさ、ひとの好奇心や探求心がそんな進化をもたらしたものか。
見渡す限り以上の遠くまで、旅をすることが叶うようになってのその結果、
人や物資の流通する距離もどんどんと長くなり。
珍しいものや優れたものがやって来れば、
それが生まれた土地へと想いを馳せ、
交易を持つことで互いの世界を共有し、ますますの発展へつながる、と。

 「まま、これは商いの上での考え方なのだがな。」

何せ自分はあくまでも一般の民草ゆえ、
ものの考えようも自然とそうなるのだと弁解したは、
東域方面弁務官補佐という肩書を担う壮年殿であり。
壮年といっても、納まり返ったいかにも文官という雰囲気はまるでせず、
銀の髪を短く刈った精悍な面差しに、
袖がマントのように胴の部分へゆったりと連なり、
裾もまた足元まである白ローヴ、カンドーラの上へと羽織りし、
砂の国特有の“ビシュト”というこれも長々した外套がいや映える、
随分な上背を支える屈強な肢体をした、
何とも頼もしい男衆だったりする。
そんな彼がつらつらと並べた言いようは、
確かに理にのっとった一通りの理屈ではあったし、

 「卿の言いたいことは判るがな。」

そんな彼の連れ、長く延ばした黒髪のなかなかにあでやかな、
こちらは だがもう少しほど年若そうな男が、
肉薄な口許だけで“くすん”と笑い、

 「だがまあ、
  西と同様、東だとて、
  その発展には群雄割拠の騒乱が大きな弾みにもなっていよう。」

最初は単なる里での権勢争いの勝者が人々を束ねていただけ。
それがどんどんと成長し、周辺との諍いや同盟やを経て膨張してゆき、
いつしか“国家”なぞという民族単位へまで、
その領土の域を広げた末に、
それを見事支配せんとする“皇帝”というものが現れたのは、
果たして何時からだったやら。

 「その帝位を巡っての内輪もめにて、
  国が滅ぶこともままあるほどだというから。
  人というものは、なかなかに逞しい生き物であることよ。」

ふふんと太々しく笑った壮年へ、
連れの男も同感だとの苦笑をしつつ肩をすくめ、

 「宗教や思想の傾向が異なっても、
  そういうことへの構図はさして変わらぬものだな。」
 「いかにも。」

あまりに膨張がすぎたれば、
末端の者らにすれば、もはや雲の上の話になっていたろう、
そんな支配者層での国取り合戦の、東域の部の現状はといえば、

 「南北に別れた格好で一応は静まっておったものが、
  またぞろ破綻したと聞いておったが。」
 「ああ。それらを平定し、まとめた王朝が立ったが、それもつかの間。
  今はまた別口の、新しい朝が立っておるという。」

ちょうど目まぐるしい胎動の時期だったか、
半世紀ほどは、誰が大将なのやらという目まぐるしい状況でもあったらしいのだが、
それを言うならこちらも大差無く。
現在の覇王の父上が、その覇権の拡張にかかっていた頃合いなため、
詳細まで知ろうとする余裕はなくての、
単なる外国(そとくに)扱いにされており。

 “…まあ、関心があったとしても、あまりに遠い空の下の話だし。”

ちょっとした物見遊山にと運べる土地でなし。
そちらの地方の言いようでの“雲上人”になればなるほど、
政務に忙殺されるゆえ、
ますますのこと本人が向かう訳には行かぬ 夢幻の地と化す東域の話を、
何でまた この…西域は砂漠の覇王が直属の、特別外交官、
正式名称、東域方面担当 弁務官殿とその補佐殿、
ヒョーゴ殿とゴロベエ殿らが交わしておるかと言えば。
その東の果ての土地を、近年の混乱の後に見事制覇した王朝の、
三代目を後継した若き皇帝がしたためし“親書”をたずさえた、
それはそれはもったいなき御勅使様の御一行が、
吐蕃や天竺を越えての吐火羅まで、
遠路はるばる、お越しということなので。
こちらからも現王の誠意を示してのこと、
歓迎の意をたずさえた一団を組んでの、
国境にあたる当地まで、わざわざお出迎えに赴いたという次第。
丈夫になめした革を編み上げ、
陽に炙られた大地を踏みしめても支障のないよう
こさえられたサンダルが踏みしめるのは、
砂ぼこりに目地の埋まった石畳の道で。
これでも交易で栄えている賑やかな街、
修復の手が入る暇もないほどに人があふれて活気もいっぱい。
広場に展開する様々な市場ではない街路にまで、
見慣れぬ顔が入り込んできての通っても、
それはきっと町へ銭を落としていってくれる旅人との把握があるものか、
少なくとも表通りで擦れ違う人々は、揃って愛想がいいし、
ちょいと熟した年頃の女性の中には愛想以上のしなを振るお顔も見え隠れ。
この辺りは微妙に、アラブと遊牧民の居住区との境目で、
そんなせいもあって制約がゆるいか、
おおっぴらには出来ぬこととて、女性による妖しき商いもあるにはあるらしい。
ちょっぴり甘やかな空気がむけられたのへ、
それなりの年頃の男衆らしく自然と頬をほころばせつつも、
交す会話の芯は揺らがずな、なかなかのお二人で、

 「それにしても、
  こちらの王国との同盟を結びたいとする
  思考の大きさはどうだろな。」
 「さよう。」

新しい皇帝とやらが立った“唐”という国は、
古代王朝から数えてこれまでの、
ン千年もの間に立った様々な王朝をいづれも凌駕するほどの、
相当な広さであり、人民数だと聞いている。
それを掌握するだけでも大変な事業だろに、
その上に、こうまでの規模の“外交”も進めてしまおうとは。

 「選りにも選って、
  広大な大陸の、西と東の端と端の王朝同士だぞ?」

ということは、狭間にもそれなりの国家や勢力はあるというに、
それらを正しく頭越しにしてのこの申し出。
見込まれたといや聞こえはいいが、

 「よほどに自信過剰な君か、若しくは。」
 「いずれは この大陸全土を制覇したいと思うほどの野心家…か?」

どんな思惑かは、結句 当人の頭の中か腹の底を覗かねば判らない。
とはいえ、
今回のこの、東亜横断にも等しい勅使の行軍は、
彼らが通過した地域の 所謂“領主”らを、少なからず刺激してもいるはずで。

 「それをまた、受けて立とうって言うのだから、
  こっちの覇王もまた、いい勝負の剛毅なお人だがな。」

そうまで遠方からの、
しかも単なる挨拶に留まらぬ、ずんと大胆なこの申し出へ、
来れるもんなら来てみなと、話はそこからだと傲慢にも高をくくるでなし。
最低限の仕儀として、
出立の前にと早馬にて送られて来た“先触れの伝書”へ
承知したとの返事を、
こっちもまた それなりの礼儀を踏んだ様式の書にて…
つまりは正気の本気、正式な申し出として受けたぞと返した剛の者。
彼らが出迎えの使者として、
覇王の覇権の境目にあたるこの地域まで遣わされたのもまた、
此処からの御身の保証は任せろという、
なかなかに自負ある意思表示に他ならずで。

 “とはいえ、こっちの覇王も結構な“タヌキ”ではあるがな。”

今どきの計算高き狡猾怜悧というのではないながら、
さすが壮年で、しかも若いころから行動派だったというから、
その蓄積は半端じゃあない。
よって、何につけ袖斗が多く、機転も利いての老獪周到には違いなく。
しかもしかも、妙に気が若いというか、
よく言って 気さくというか温厚というか。
ざっかけないというか…茶気が過ぎる時があるというか。

 “言葉、随分と選んでおるな、筆者殿。”(…う〜ん)

威容をまとって居丈高に納まり返っているでなし、
政務に関してとことん誠実さで対すところは良いとして。
私的な時間や空間に身をおくと、
そんな彼のざっかけなさや頼もしさが、
不意に様変わりを示すことがあるから困りもの。
国務というものは そうまで気を抜きたくなるほど大変なのか、
はたまた傍らにいるのが気の置けぬ相手と見ての甘えもあってか、
時に、思わぬ度合いで人の悪い言動を見せることもあるから困ったお人で。

 『卑怯狡猾という意味での悪い人では決してないのですが、
  時折お人が悪くなるのへは、慣れた者でも結構手を焼かされるので。』

あの、気丈で聡明で貫禄もある、気高き第一妃が、
ほほと笑いつつも…くっきりはっきり言い放ったくらいだから、
推して知るべしというところかと。
表向きには第三妃という肩書きであれ、
実質は人質として嫁いだ“烈火の姫”さえ、
その気性の激しさもどこへやら、
気がつきゃ 慕ってやまぬ対象になっているほど、
しっかと籠絡していたのだから、

 “…やはり“大ダヌキ”には違いないではないか。”

まあまあ、ヒョーゴさん落ち着いて。
(苦笑)
話が随分と脱線したものの、
そんなおタヌキ、もとえ…我らが覇王の代理人として、
遠路はるばるお越しになった、東方からの勅使とその一行を出迎えるため。
こちらも近いとは言えぬ距離を伸して来た、
外交部門じゃあ高位にあたる地位いただいている二人の官吏。
落ち合う地として約した街の、
旅人の多い繁雑な土地柄の空気に、飲まれたり紛れたりしかけつつも、
伝書鳩による最も新しい伝言の書を見ぃ見ぃ。
彼らづきの部下らがあっちだこっちだと奔走している後から、
物見遊山に見せかけての、のんびりとした徒歩で街路をゆけば。

 「………っ。」
 「ヒョ、ヒョーゴ様、ゴロベエ様。」

一体何を見つけたか、
俊敏な身ごなしで大路の雑踏を突き進んでいた面々の、
内の一人が大慌てで駆け戻って来ており。
それと判りやすすぎても騒ぎになりかねぬと、
高位の官吏とは判りにくかろ、さして仰々しくはない装束、
濃色無地のビシュトとそれから、
風に撒かれぬよう襟元へ提げた飾り物も 地味に作って来た二人へと。
駆け寄ったそのまま、足元へ片膝つきかけた部下だったのを、
こらこらそれでは意味がなかろと、
諌めつつ腕を取っての立ち上がらせたゴロベエだったが、

 「あちらの広場前、すっかりと様変わりしておりますれば。」
 「様変わり?」

言われて改めて周囲の気配を見直せば、

 「片山殿。」
 「ああ。」

いつの間にか…石作りの家並みに挟まれた通りに人の姿が見えなくなっている。
彼らには さほど気を緩めていたつもりはなく、
それでも様々に機転の利く練達二人が気づかなんだということは、
人の気配こそ消えていたが、
それと入れ替わり、鋭く冴えた警戒に満たされてまではいなかった、
穏やかな空気のままだったからだろう。
言葉少ななまま意を合わせ、案内にと立った部下に先導されて向かった先には、

  「…………おお。」

どんな形勢へも動じぬ、肝の座りようが買われたはずの二人の外交官が、
揃って思わずの声を洩らしたほど、
あまりに不可思議な異空間が広がっていたのだった。


NEXT


 *以前、宮原様から頂いた『櫻月夜話』の、こっちからサイドのお話です。
  このあたりに詳しい方には目に余るような、
  微妙に嘘八百な部分も出てくるかもしれませんが、どうかご容赦を…。


戻る